アマチュア無線家JH0ILLのつぶやき

ある日、突然、アマチュア無線を再び、やってみようと思い付き、十数年ぶりに再開した無線局のつぶやき。

カムバックハム

10月24日夜、7MHzで青森のOMと交信を楽しんだ。聞くところによれば、この交信がOMにとって、カムバック後の初めての7MHzでの交信のようである。OMは小学校の頃、無線を始め、その後QRTし、40年以上のブランクをもって再開をされたようである。小さい頃、やはりHFで交信されたようで、その思い出話に共感してしまい、そのひとときが私にとっても、とても楽しい時間を頂いた。このような交信は、いつも心が温まるとともに、いつの間にか時間が過ぎ、無線をやっていて良かったと感じる。
さて、私もカムバックハムのひとり、カムバック後、3年10ヶ月を経過した。もう一度、自分が最初に開局した頃を思い返す。
私は中学2年のときに、電話級アマチュア無線技士(今の4級アマチュア無線技士)の国家試験を受験し、なんとか合格、親にせがんで?TS-520Vを手に入れた。何故、HF機だったかというと、当時、BCLという海外短波放送を聞く趣味をしており、遠く国内外からの電波を聞くことがとても不思議であった。そして、ICF-5900というラジオで毎晩、21MHzの無線交信を聞いていた。その当時は、確か21.300MHzを中心にローカルの中高生が毎晩QRV、数名でのラウンドQSOをしていた。そして、彼らが話す沖縄や北海道との交信の話題を聞いて、憧れを感じていた。8月頃に局免の申請を行い、11月になって漸く免許が届いた。3ヶ月も必要で、2ヶ月ぐらいから、毎日、帰宅してはポストの中を確認する状態であった。免許状をみて、JH0ILLというコールサイン、すこし期待外れであった。でも、世界で唯一の自分のコールサイン、早速、どきどきしながら、21MHzでCQを出す・・・コールされたのは自宅から5kmぐらいの距離のOM(JH0IKQさんで今も現役)。たしか、話すことを間違えないように、紙に喋ることを書いておき、それを読んだ。レポート交換、名前、QTHを話す。手に汗握る状態が続いた。とても嬉しかった。
いろいろとアンテナを検討して、初めて交信した海外局は、有名はVK2XT局で21MHzであった。当時はコンデションが良かったのだと思うが、夕方から夜にかけて21MHzで聞こえる沢山の欧州の局、こちらから何度、呼んでも全然取って貰えない。でも、いいアンテナを備えている局は、それこそ平然に交信してしまう。羨ましい・・・それからアンテナ作りが始まった。
高校(実際は高専)生になり、10WにSSBでなくてCWの方が飛ぶということから、電信級を取得。10Wに縦ぶり電鍵を使って、色々と試した。21MHzであれば、1/4λのGP、ラジアルを少し多めにして、同軸フィーダのオープンスタブで調整するととても良いアンテナになる。これだと、EU当たりは当然のように10W程度で交信できてしまう。こうして、益々、CWでのDX交信が楽しくなってきた。
まさに、無線を始めたころの楽しさが、いまの無線への興味の原動力になっていることは間違いない。

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