アマチュア無線家JH0ILLのつぶやき

ある日、突然、アマチュア無線を再び、やってみようと思い付き、十数年ぶりに再開した無線局のつぶやき。

過ゆく平成時代、新たな令和時代の始まり

30年という平成の時代は、4月30日をもって幕を閉じた。そして、本日5月1日から、新しい令和時代の幕が開けた。令和という元号は、万葉集から得たものとある(Wikipediaより)が、その文に「 于時初春令月 氣淑風和 」の令月と風和から、この令和になったということについては、文才の無い私にはよくわからない。また、中国の文書からは取っていないとあるが、令は、中国語で「よい」という意味があるようで、令嬢という言葉でも「よい」という意味を連想できる。和についても、中国語では「なごむ」という意味があるようで、恐らく令和はとても上品な和というような感覚を自分はもっている。
さて、皆さんにとって、平成という時代はどうだったろうか?平成元年は、私がまだ学生で、丁度、某社で学生アルバイトで組込みソフトウェアについて、客先での確認を行うために、東京にいたときに起こったことだ。その後、帰省し、平成3年に500Wの変更検査を受けた。数年間は、500Wでの交信を楽しみ、7MHzの高い方で当時、九州と北海道の局でのラグチューを楽しんだものだ。ただ、当時のアンテナは地上高が10m程度で低く、他の局が交信する相手が全く聞くことは出来なかった。HX330という短い3エレで14MHzに出ると、良く回り込みで家のブレーカーがトリップしてしまい、結局、QROはあまり楽しめず、その後、トランシーバーとアンテナの間にアッテネータを入れる方法でQRPにして、自らの信号を弱くして、相手に取ってもらうことに魅力を感じ、QRP機の作成などに走った。
その後、XYLと出会い、結婚、無線機は新居に持ってきたが、運用することもできず、自然にQRTという道を辿った。当時は、PC98シリーズが全盛期の時代で、MS-Windows Ver.3が発表されて、PCが欲しくなり、無線機を売って、PCを購入した。インターネットには、電話回線(テレホーダイ?)で長時間の接続を行い、チャットなどを楽しんだ。インターネットは、ADSLが使えるようになり、高速化し、Skypeによる不特定な相手との会話が楽しめるようになった。当時は、日本語を学びたい中国青年と中国語を学んでいる自分とで夜遅くまで、Skypeにて交流をした。また、携帯電話が発達し、アマチュア無線でなくとも、色々な場所で自由に連絡ができるようになり、海外においては、Skypeなどのツールを用いて、コミュニケーションができるようになった。特に、ネットゲームなどは、通信を使って、対戦などが可能であり、設備が大変で、通信時の品質も低いアマチュア無線を今さら??という思いが強かった。
平成28年、職場の先輩がアマチュア無線を再開したことを聞き、少し懐かしさを感じ、組み立て途中であったQRPキットを探し出した。高品質な通信ではなく、ギリギリの状態の通信がとても魅力に感じる、普段はなかなか接続できないけど、自分と相手時間や設備がマッチ、更に自然が味方してくれて初めて交信可能となる面白さがアマチュア無線にあると再発見をした。
こうして、3年3ヶ月を過ぎ、平成時代の幕締め、令和時代の幕開けとなった。現在は、色々な条例があり、なかなか、大きなアンテナは建てられない。また、高年齢化により、設備の縮小をせざる得ない方もおられるであろう。コンデションの低迷は、いままでのCW/SSBというモードから、新しいデジタルモードが開発された。少し小さな設備であっても、599BKの交信はこのデジタルモードは可能としている。それから、インターネットとのコラボが行われ、色々な手段でインターネットを活用できるようになった。
この令和は、まさに和を大事にすること、コミュニケーションをどうとるかが課題のような気がする。アマチュア無線という趣味も、人と人のつながりを大切にする趣味である。これを機に、良いコミュニケーションの関係を築くことを考えていきたい。

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