アマチュア無線家JH0ILLのつぶやき

ある日、突然、アマチュア無線を再び、やってみようと思い付き、十数年ぶりに再開した無線局のつぶやき。

秋のコンデション?

季節の移り変わりは早く、暑い夏が終わり秋の訪れを感じていたと思っていたら、10月に入ってしまった。最近は、あまり習慣化されていなくなってしまったが、10月といえば、やはり衣替えの時期、気候がすっかり変化し、長袖に薄いジャケットを着ても、違和感が無い時期になってしまった。お空の方も大きく様変わりしたようで、このところ、HF帯は秋のコンデションの様相を持つようになってきた。
7MHzの夜の国内QSOは難しくなり、前よりも早くスキップするようになった。スキップ後には、広く東南アジアや北米などの信号が力強く入感。また、同時刻に、14MHz、18MHzの欧州が聞こえてくるような状況。21MHzの朝方、南米が力強い信号で入感、夜はアフリカ・中近東が入るようになった。逆に国内の信号は落ち込んだまま。
しかし、日中の7MHzの国内コンデションは良好のようである。
SSNの値は、あいかわらずであるが、海外の局はある程度の強度で入感するようになったことは嬉しいことである。

第2級時代のハムライフ

第2級アマチュア無線技士は、無線を始めたころの憧れであった。正に、100Wで運用ができる。100Wであれば、7MHzでDXがある程度可能となると聞いており、DXのメインストリートの14MHzに出ることができるからだ。その14MHzは憧れから、時々、聞いたことがあるが、昼間はOM同士のラグチュー、夕方以降はDX局だらけのバンドになる。
ローカルで100W+4エレHB9CVで21MHzにてDXや国内スキャッターで交信している局がいたが、やはり自分が聞こえないところと悠々に交信しているところが羨ましいばかりであった。
第2級アマチュア無線技士の難関は、何といっても電気通信術である。一分間45文字の欧文の試験である。ところが、既に電信級を取得し、通常のQSOが出来る状況になっている段階で、45文字の速度は大したことがないと思った。それゆえに、どうせ受けるならば、第1級を受けようということになり、事実上、私には第2級時代は存在しない。

電話級時代のハムライフ2

・・・前日の続き。
始めての交信は、誰でも同じだと思うが、正に手に汗握るという感じである。それが、今も記憶に残るQSOになる。同じ市内、今でいえば3km程度しか離れていないのに、信号強度はS7程度、こちらのアンテナがいかに貧弱であるかとは思うが、とても新鮮な感じである。それから、21MHzで4~5局、いままで短波ラジオで聞いていた各局と挨拶ができる。殆どが学生、いいアンテナを持っている人で5バンドバーチカル、それ以外はワイヤーのダイポール系が殆どである。たまに、218Cなどを持っている局がいて、カスカスのDXに対して、59のレポートを送っているのを聞いて、ただ、羨ましいという思いばかりであった。
先に開局した友人のJH0H××局と無線クラブをつくった。そして、文化祭にはアマチュア無線の公開運用を行った。珍しさもあり、結構人気があったことを覚えている。その友人は、とうとう、彼の自宅の屋根の上にアンテナを上げることになった。もちろん、私も手伝いにいき、ルーフタワーを屋根に上げ、その上に当時TETの21MHz用スイスクワッドを上げた。スイスクワッドは、キュービカルクワッドの位相給電のもので、ビームもそこそこに切れ、何といっても耳が格段に良くなったようだ。10W機であっても、アンテナが良くなると飛びは凄く改善される。私はただただ、羨むだけ。アンテナハンドブックを買って、自分に出来るアンテナを作ろうとした。幸い、農家でもあり、長芋用の竹竿が沢山あった。その竹竿とビニールテープを用いて、アンテナを作成していった。最初のビームアンテナは、ZLスペシャルで、平行フィーダを使って、長さを図に合わせて、切って貼ったようなアンテナである。飛びは良く判らないけど、低いアンテナにも関わらず、21MHzで初めてのDX、VK局と交信ができた。とても嬉しくって、QSLが届くのを待ちに待った記憶がある。その後、機会があるときに、3エレデルタビームまでをつくった。このデルタビームは非常に良く飛んだ?風に。
このような訳で、アンテナハンドブックを座右の書として、色々なアンテナを作っては壊しを続けた。朝方の21MHzの北米局を毎日聞き、呼んでも全く応答がなく、さびしい日々を過ごしたが、いつかはこのような局と無線をしたいという希望があった。
電信級時代のハムライフに続く・・・。